これは何だ、第二創業期、技術陣の苦悩

第二創業期、技術陣の苦悩。


 この時期は、経営上は、踊り場(停滞期)に差し掛かっていたのです。


勿論、市場の変化やライバルの動き、新商品のサーチなど引きくまなくサーチしていたのですが、

中々表(市場)に新商品としての上場がないのです。

 それは、ライバルも、それなりのオリジナルをと思い、開発しているのですが、やはり、市場の新製品に

発想が引っ張られるのです。

 言い換えると、同じような発想に原点になり、オリジナル性を発揮できないのです。

これは,客観的な見方が新製品によって、阻害され、逆に引っ張られる結果です。

この企業の技術陣も、同じような道を辿るのですが、それは、目先の変更、市場分野の違いへと方向転換

するのですが、凄には、結果が出ないのです。

 其れも、自らのオリジナルならいいのですが、やはりモノマネの変形であり、純然たるオリジナルと異なっていたのです。

特許等の先行技術調査でもその流れが明確になるのです。

 ならば、どこで独自性を見いだせるのか?

やはり、市場の要望(営業からの情報)、国の経済政策、構成部材の技術の進歩など、それに全く異分野の内装材、

家具などの関連性がありますが、直接採用できにくい分野です。

ココの、置き換え、置換のノウハウが有るのです。

でも、そのことに気が付くには、時間と組織内の異質の人の発想を採用することが大きな要素なのです。

でも、専門家は、なかなか採用しかねるのです。それは、知識、情報が邪魔するのです。

あなたはどうしますか?

エッセイ、ドンキーマカセ、開発・知財、経営、市場開拓のトライアングル。

エッセイ 

ドンキーマカセ、

開発と、知財と、市場開拓のトライアングルの面白さは、無限大です。


それは、人生の最高に幸せです。

 まず、
 ①世の中に無い物を世に出す、

 ②世の中の人が、同じものを作れない。

 ③市場の独占とライバル無。自由な商売で利益もアップ。

 ④自らの価値観を商品に表現できる。

 などまさのライバルなしの王道です。

しかも、法的な独占が認められる制度です。

なぜ、このようなすばらしい制度を活用しないのか?

当方は、約40年間以上にわたり、この制度の世界にどっぷりとつかっています。

 特に昭和51年から平成17年までは、まさに独占市場での知財、開発、経営に従事したのです。

その経験は、だれもできないし、お金で買えるモノでもない。
自らのカーラーダに染みついた貴重な経験なのです。

この経験を放棄する勇気が無く、現在の仕事を初めて約13年くらいなりますが、いまだに自社ブランドを目指す経営者に

お目にかかれないのです。

多分、私のサーチ力、宣伝力、知らしめる力がない、その結果だと思います。

そこで、最近のSNS等の手段を活用して私を知らしめているところです。

是非、関心のある自社ブランドを目指すトップは、先を争うようにおいでください。

それほど面白い闘争なのですよ。

 まさに、世の中が戦場です。

そのような経験は、したくありませんか?


それは、後悔の念だけです。

 市場を独占できる。

この闘争を目指してこそ事業家でしょうね。

それが、あなたの使命かも?

コラム、水晶太郎、自社ブランドが下請け脱皮の至上命令だ?

コラム、水晶太郎、

 


<strong>自社ブランドを目指す事業家、開発者、

ただし、中小零細企業10社に限る。

</strong>それは、自分の力から割り出した数です。

でも、本当は、1,2社で十分なのです。

現在まで、その姿のかけらも見えず、必死にサーチするが目的の企業等に該当せず、目くらのように鉄砲を打っても、

無駄の連続です。

 それで、最後の望みとして全国の中でも10社位、手を挙げえてほしいのです。

勿論、その中から諸条件を検討させてもらい、この人、この企業ならの選択をし、選択した企業の自社ブランド化を最後の仕事とするスケ

ジュールです。

 

 尚、自社技術、自社ネタが有れば、最高ですが、なければ、当方が準備するネタを検討し、貴社の技術のコアと対比して、

その可能性を判断します。

 勿論、下請けからの脱皮を目指してのチャレンジも大歓迎ですが、軸足は、初期は下請けで飯を食い、余剰分で開発のスタンスです。

その後、次第に下請け比率を下げて自社ブランドへ軸足を変えるのです。

 それが安定した方向変換のシュミレーションです。

その前に、市場規模の状況が最大の課題です。

 さらに、顧客の数、地域、ライバル、独自技術の有無、それにノウ・ハウなど有無も大きな比重になります。

先ずは、挙手をと思います。

 あなたの参加を待ています。

勿論、遊びや、嫌がらせは即刻退場願います。

あなたは、命をかけるのですか?

ただ、チャアレンジして見るだけですか?

 自らのシュミレーションも必要です。

コレハナンダ、第二創業期、技術からコトへ

第二創業期、技術からコトへの転換時期

⑪-50

この時期の技術は、基本技術の枯渇(こかつ)時期です。

それは、この種商品は、構成部材が3個であり ①金属版(金属薄板)、②芯材(樹脂)、③裏面材(クラフト紙)であり、それぞれの

原料の開発もある程度の進化もあり、画期的な素材の開発が待たれる時期です。

①では、ガルバリュウム鋼板が主流になり、赤さびの苦情の解消と表面の清潔感が得られたのです。

それは、外観的にもデザイン的にも、一寸目新しいイメージです。

②は、ポリウレタンからポリイソシアヌレートへと移行し、より難燃化のグレードをアップしたのです。

難燃3級、防火構造のチャレンジと建設省の認定獲得、が可能になったのです。

③は、防水性と難燃性と強度のアップを図り、しかも重量を軽くしたのです。(コスト低減)

 それは、原料の特徴から目的の要望に、いわゆる、コトに開発が移行していたのです。

是は、大きな変化です。

それに、施工法などの開発、役物開発は、まさに[あればよい。デザインが良くなること、外観のすっきり感]など

これまでにない要望が顧客の声として挙げられたのです。

勿論、顧客志向でのマーケテンギを実施してきているので、市場の声が反映されるのです。

ただ、顧客の声をマルのみは?

非情に危険性があるのです。ときどき、むぼうな要求があり、それは、メーカの選択力です。

特に、市場全体(窯業系サイデングの動向、タイルの動向、屋根材の動向)は、どのように変化しているのかも

判断基準です。

 特に、日本の国民は、周りを見ての採用が多く、オリジナル導入への結論、いわゆる勇気がないのです。

そこで、先進的な発想の顧客に、白羽の矢を当て、試験張り等するのです。

いわゆる、モデル選択です。

 あなたは、試作品の展開は、どのように考えますか?

コラム、水晶太郎、なぜ、自社ブランドを目指さないのか?底辺をうろつくつもりですか?

コラム


水晶太郎

ベンチャーから中小企業までの成長を支援するのが目標。


これは、私が、この仕事を始めた理

由ですが、市場把握の甘さから、いまだに発掘できていないのです。

少なくとも、その意識のあるトップにお会いできていないのが現実です。


その意味では、以前勤務していた、○○企業のトップはまさに、当方の目指す企業でした。

でも、入社時はあまりのベンチャー企業の姿に、ただただ唖然とした日々でした。

それでもU-タンの目的が有り、この企業への就職は、どちらかといえば、繊細一隅のチャンスを与えてくれたのかも?

勿論、入社時は、全くびっくりの連続でしたが、それは、現在のレベルが底であり、ココから這い上がり、業界NO、1を目ざす

野望には、やはり希望と羨望が渦巻いており、途中入社の人は、みなすべてを斯かての再就なのです。

この点では、再就職組、いわゆる、U-タン組には、逃げ場がないのです。

断崖絶壁の決断です。

其れで、前に進む以外の道が無いのですから、やることは、すべて決まっているようなものです。

ココに、火事場の底時からの発揮するステージが待っていたのです。

 しかも、経営哲学に、人マネはしない、自社ブランド、業界トップを目指すとあり、エネルギーのかかる方向は一方通行なのです。

それは、社員のベクトルを集中させるのに、最良のステージ設定です。

でも、これほどシナリオが描かれていたとは?

 いやいや、これはやはり偶然の組み合わせと時代の贈り物なのです。

ここに視点を当てる必要もあるのです。

時代背景の大きさは、市場形成、新規物質の出願などある程度そろう必要があり、1個だけとか2個の要素だけは、市場を喝破する力など

出るはずがないのです。

 この当時の企業内は、能力、学歴、専門分野、全く無視、押しなべて一緒の舞台での新商品化への戦いです。

それは、疲れ、休日、時間なども超越した感覚になるのでしたが、それは、指揮官の指示が不可欠です。

やはり長期間の開発なので、1か月日程のレベルと?

流石に生きた人ですから、給与と休暇とのバランスが必要な時期であり、けが防止も含めて、それに専門外の仕事もしているので、

やはりそれなりの注意と指導も欠かせない時期です。

 幸いにも、この新商品を上市するまでには、誰一人怪我もなく、順調にスタートしてことです。

今も、記憶に残るシーンです。

特に、秀壁は技術的には最高難度であり、製造法、装置、防火性能とも歴史上にない、燃えない金属断熱サイデング材です。

この経験を、現在下請けの企業で、自社ブランドを目指す企業で、かつトップの決意が市化k利しており、途中で挫折するような弱い意志では

自社ブランドの達成が難しい。いや、無理です。

 是非、同じ一生なら一度はチャレンジして、自社ブランドを自社技術で達成出来ることが目的です。

是非、お声をかけてください。

あなたの企業のご支援の可能性をみさせてください。

この続きは(2)は後日。

エッセイ。ドンキーマカセ、なぜ、人生の楽しさ・うれしさの発掘現場が開発・知財等なのか?

なぜ、人生の楽しさ・うれしさの発掘現場が開発・知財等?、(1)

 この疑問は、サラリーマン人生のスタートでは、当初、全く湧きませんでした。

それは、安定した人生を東京の1部上場企業に就職すれば、ほぼ獲得できると考えていた。

 すなわち、サラリーマン生活で安定・順風の人生を過ごす夢を描いていたのです。

まず、就職、それも、一部上場企業への就職を目指すことでした。

 まさに、小さい、しかも安定を望む、サラリーマン生活の船出を夢に見ていたのです。

田舎の実家では、子供たちの就職を喜ぶ時期です。

5人兄弟のため、高校卒業したら、あとは自らの力で生活するこが原則でした。

其れで、長男以外は、実家を離れて、自らの人生へと船出する習わしです。

近所の各家も、ほとんどそのような進路を目指す若者でした。

 これは、実家を良く知っての実家の負担をできるだけ軽減する策なのです。

その進路には、だれも逆らえない実家の経済事情です。

 母親一人の稼ぎと、日雇いの男性と、父親は監督以外野外での仕事ゼロです。

やはり、母親の大変さを早く楽にしてやりたい心境以外、湧く時期でなく、まずは、就職でした。

昭和36年頃の田舎の様子です。

 このような心構えでの就職ですから、人生など安定したサラリーマン以外、思いつくはずもなく、

ヘイヘイボンボンの人生を描く、空想の世界でした。

 でも、少なくとも自家kへの負担は、ゼロにできたし、母親の金銭の苦労は削減できたと思ていました。

この時期、我が家では兄と私の2人のサラリーマンが、東京へ出発したのです。

すぐ下に妹がおり、母親の苦労はまだまだです。

 このような心構えでの私の人生スタートですから、チャレンジャーなどの心境はまったく、いや心の片隅にもありませんでした。


それが、東京の現場での怒涛の荒波の凄さに、かすかな灯台が全く見えなくなたのです。

予測をはるかに超える現実に、ただただ、---?です。

あなたは?
 
この続きは、後日。

これは何だ、第二創業期、トップの野望

第二創業期、トップの野望

⑪-49


まさに、現業好調のさなか、トップ創業トップは現在の経営の状態が永久に続くとは、思っていないのだ。

 でも、どう舵を切れいいのか、悩んでいたのだ。

そして、トップ交代の時期と新商品路線を模索してなたんでいた。

外部からは、まったく読めなかったのだ。

 ほとんど毎日トップの机へのそば1、2mの席にいたのだが、気が付きませんでした。

でも、社内からの人選は、本人から、やはり拒否され、外部からの調達を目指していたのだ。

勿論、家族からの昇格が順当なおだが、その任にふさわしくないとトップは判断していたのだろう。

 外部から見ても?
そこで、自らの判断で、住友商事に経営権を譲渡する交渉に入る覚悟が決まった時期です。

勿論、当方はまったく読めませんでした。

 それほどの極秘事項なのです。

でも、これは〇〇家では、重大な決断のはずです。

社内昇格もなく、外部調達?

2部上場の話もあったのですが、一切見向きもせず、企業譲渡策を目指したのです。

以前は、社員持ち株制や、上場の話で社員は、かすかな希望を持ていたのですが、その夢も

無残にも裏切られ、社員、特の、ベンチャー時期からの社員は、ガカkリの感じでした。

 その当時の常務以上の役員には、持ち株があり、まだ可能性があると見えたのですが、やはりトップは、長期の経営安定

をめざし、カツ、輸出を将来の市場に見立てたのです。

これは、一寸?

それは、すべて住友商事の世界戦略によるものです。

 そのため、譲渡価格は、バカに安価な譲渡額のようです。

勿論、開示できないが、数年も経過せずに元が取れる価格だそうです。

あなたは?